【乾いた薫り】 サビル (かるら)
砂嵐は今はない。ただ砂漠を渡る風の音が厚い壁を隔てて聞こえるばかり。 出て行ったトトおじさんの足音で目が覚めた。どれだけ静かにドアを閉めてくれてもこれだけ神経が高ぶっていては寝ようにも眠られない。沢山の苦い想いばかりが自分の中でぐるぐる巡ってビビは身じろぎ一つせずに壁を見つめてまんじりとしていた。 皆が気を遣ってくれている。その為にも自分に出来ることをと思うのだけれど、重なる知らせは負のカードばかりを蓄積してゆく。 今は……コーザに会うしかない。会えばきっとこのばかげた仕組まれた反乱は止まる。会えなくとも止めなきゃいけない。 カトレアまで戻る時間が惜しい。ナノハナでの情報探索が遅れたことを今切実に辛く思う。手足となって動いてくれる衛兵が欲しかった。せめてペルの様に翼があれば空をかけてゆくのに、ただの人間である我が身がもどかしい。 そもそも全てを仕組んだあの男が今ものうのうと過ごしているというのに我が身はと言えば瀕死のオアシスの真ん中で、手には何も持ってない事が一番腹立たしい。腹立たしいどころか肝が煮えたぎる。 この両手が奴に届きさえすればそのままその首をねじ切ってやりたいのに・・・時間も何もが絶望的なほどに足りない。 「※☆★!ぐをっっ!!・・んにゃむにゃ・・」 どきっとした。 闇の中、皆のいびきの合掌の中にひときわ大きな音。 最初はそれが人の出した音とは思えなかった。 暗いことを考えていた時のいきなりの音に自分の心臓がドキドキ打つ音ばかり。 その音は一気に静かになって、やはり誰も目を覚まさない。 (何?) 自分の掛け布団を脇にずらしてそっと降り立つ。 (ルフィさん・・・。) 音の主は・・・想像通りルフィだった。 ビビはルフィのベッドの真横に立った。自分の後ろのゾロは今は静かに寝ているようでこれは身動きすらしない。 人ならぬルフィの形態を理解するためにそっと目を近づけて凝らしてみた (どうやったらこんな落ち方が?) まず、頭が床に落ちている。 それなのに、反対の手が向こうの壁の穴に挟まってる。 そして、間の首は長く伸びている。 思わず凝視してたっぷり一呼吸。ビビの口元からクスクスと静かな笑いが零れ始めた。 (子供の頃に聞かされた首伸びのお化けみたい) さてっと腰に手を掛けて、ビビはルフィに近づいた。両手を揃えてルフィの頭の下に手を入れる。そのまま持ち上げれば大きな木の実を拾ったよりもずっと重い。 その頭皮からやや男性的な、そして少年のような汗の匂いがする。乾いていたしそれを嫌だとは思わなかった。それどころか。 この人はこの砂漠をビビのために越えてくれた。あの後もずっと涸れ井戸を掘ってくれた。 (強くて、優しい人だ) その彼に水一杯も振る舞うことが出来ないなんて。 一言が思い浮かんだ途端悔しさに唇を噛みしめる。濃い血の味と臭いがした。 「ビビ、寝れねぇか?」 暗闇の中ビビははっとした。柔らかく、だがしっかりと手をおさえる者がある。声を出さないようにおさえながら見るとルフィはビビの右手首をしっかりと掴んでいる。 「え?……起きてる…の?」 さっきのいびきは……? 反対の手で頭をかきながらルフィは続ける。 「お前の気配と匂いがするなーーと思って目を開けたらお前が居た。」 ルフィは寝たままにかっと笑う。 「夜這いに来たのか?お前も大胆だなーー。」 「違うわっ。ルフィさんが落ちたみたいだから直そうと思って・・。」 「ついでに俺の頭の匂い嗅いでか?」 悪魔の息子の顔とはこんな顔だろうか?暗闇でにっと両脇に開いた口の間から白い歯ばかりが浮かび上がる。 ビビの両頬が羞恥の色にあっという間に染まった。 「!ひどっ」 「お返しだ、お前の匂いも嗅がせろよ。」 「ちがうっっ!!」 言っている内にその手を引き込まれた。体制を入れ替えるように押さえながらビビの頬の脇から鼻をうなじに突っ込んだルフィはくんくんと獣の子ように本当に嗅ぎ始めた。 「ちょっルフィさ……!」 そのルフィはあっという間に腕は自分の後ろにまで引きずり込んでそのまま自分の寝所にビビを沈めて、反対の腕はがしっと残りの肩を押さえ込んでいる。 ルフィの鼻はビビの耳の脇を通り匂いを嗅ぎながら少しずつ頭の方へ移動を始めた。 ルフィの呼吸が愛撫のように肌を滑る。 耳元ではまるで息を吹きかけられているように自分の耳穴の中に彼の呼吸が染みこんできた。 はき出されるルフィの呼気の匂いにドキドキしている自分が居た。 そのままゆっくりと頭頂のつむじに移動しようとしてルフィの胸板がビビに体重を掛けて押さえ込んでゆく。その重みがくっついた肌に妙に気持ちいい。 ビビのおなかの上でルフィが広げた股に押しつぶされている。ルフィは器用にもあっという間に足の先までを使ってビビの腿を押さえ込んだ。 ようやく気がついた。 ビビにはもはや逃げるすべがない。 両腕に力が入らない。 それを解っていてもルフィの身体をどけられない、拒めない。 「変な香水の匂い、消えたな。」 「え?」 「ナミのと同じ奴。」 昼間の香水だ。トニー君をからかった後、ナミは面白がってビビにも同じ香りを付けたがった。 耳の後ろだけなら、と言ったことをルフィは覚えていたようだ。 あの匂いは嫌いじゃないが自分らしいとは思わなかったのは本当だ。 サンジさんは良いセンスをしていた、アレはナミさんのための香水だ。 額の生え際にも鼻を移し、ルフィは話ながらもその行為をやめるつもりはないらしい。 「……砂漠の風に吹き飛んだ?のかしら。」 話されて少しビビの緊張が解れた。ルフィは顔も上げずに答えを返してくる。 「今はお前の匂いがいつもより凄い。」 「そ……だって汗かいてそのままだし・・」 そう言われるとこの状況なら当たり前だとは思いながらも恥ずかしさがこみ上げる。今まで気にならなかった汗をかいた肌のべたつきが妙な触感で思い出された。 「こっちの方がずっといいや。」 「え?」 「お前の匂いな。いっつもより濃くて。嗚呼、ビビだなって思う。すっげぇ美味そう。」 濃い、と言う表現が妙にリアルで腰の辺りがぞくりとした。続くルフィの最大讃辞の言葉は脳よりももっと深い肌や肉が理解する。 もの凄く気持ちが良い。 まるで変な薬を嗅いだみたいな気分だ。 「ここがこれだけならこっちはもっとすんだろ?」 言うが早いかルフィの身体の影が目の前から消えた。 そのまま腕を持ち上げられて、いつの間にかルフィがビビの脇に鼻を突っ込んでいた。 「いやっやめてルフィさん!」 小声で抵抗してもルフィはたっぷりと吸い込んでははき出す。 「あの香水で女は男を引きつけるんだってナミは言ってたけど、違うな。」 今は無視しようにもルフィの髪から彼の体臭をビビも嫌と言うほど感じてしまう。更にルフィの息づかいを肌が感じてしまい、本当はルフィはビビを押さえつける以外はビビに触れようともしていないのに、まるで誘われて誘われて、誘惑されている気持ちになる。舐められたとか触られたとかの直接的な行動は一つもないのに下腹の奥がかっと燃えるように熱い。 「今のお前の匂いの方がずっとヤリたくなる。」 直情な言葉に真に己の状態を理解した。 身動きはとうにできない。 心はルフィが嫌なわけではない。それだけは、断じてない。 だが、本当にこうなったときの男性に、自分は抵抗する力はないのだ。 ルフィの吐く息だけがビビの肌をなぞり始めた。 「すんげ。たまんねぇな。媚薬っつったか?やりたくなる薬。下はこれより凄げぇよな。」 直接的で扇情的で際どくて屈辱的な台詞のはずなのに、優しい響きだった。 この声はビビを認め、癒すそんな音楽だ。 先程の肌の触れあいからビビの心の枷が外れている。心は、この人にすがってしまいたくなっている。この超人的な力の優しい男に王女として身をゆだねて昔アラバスタの危機を救ったという旅の英雄と王女に身をなぞらえてしまいたくなる。 あのクロコダイルをすぐに倒して欲しいと。コーザ達を一刻も早く救って欲しいと。そして、私の国を一緒に守って欲しいと。 けど。 だけど。 だけどそれは。 どうしても。 「けど無理だな。おまえ、おっかねーから。」 いきなりルフィが上体をあげた。 真横の男の気配にビビも気がついた。 「なぁ、サンジ。」 「たりめーだこのサカリの付いた阿呆が。」 「サンジさん!?」 まさかの男の声にようやくビビも周囲を思い出した。目と鼻の先に皆が眠っている狭い宿坊。自分の大声を思わず口をふさいだが見回しても他は動かなかったので少し安心した。サンジはしゅぼっとねじ曲がった細い煙草に火を付けた。煙が本人より先に側に到達した。煙草の煙が一帯を染め変えてゆく。 ルフィはゆっくりとビビの上から腰をずらした。離れたことでルフィの身体の真ん中に巨大な一物が硬く大きくなっていた事に気がつきビビは視線を逸らした。 「すんげー良い匂いだぞ。お前も嗅ぐか?」 「阿呆。お前に言われなくてもビビちゃんは媚薬で甘露だよ。だがな。今は無理だろ?」 他の人間に配慮して声を潜めてもサンジの声は通りが良い。 「ああ。」 ルフィはベッドに座り込んで俯いたのでビビも身体を起こした。 「三人でやるか?」 「ど阿呆が!」 サンジの蹴りは見事にルフィの顎に炸裂し、ルフィは後ろに胡座毎吹っ飛んだ。 「なんでだよ、いっそ三人なら出来るかもしれねぇじゃんか。」 「こんな状況でビビちゃんに無理させんな。俺たちが良くても濡れなきゃビビちゃんが楽しめねぇ。こんな事解説させんな!」 「ちぇ。」 サンジがおろおろしているビビに手をさしのべ引き出した。ビビがその手を取り立ち上がると、ルフィはのそっと起きあがり、今度は枕にむかってごろりと自分のベッドに横になった。 まぁまぁとサンジがビビの背中に触れた。 「サンジさん……私の行動気付いてたの?」 サンジはいたずらな瞳で少しおどけて見せた。 「ビビちゃんが動き出す前からね。アレじゃ俺たち寝られないよ。」 「え?」 「やめとけ。気付いてねぇ。」 「え?」 サンジを睨み上げながら腹の底から響くルフィの声はあまり聞いたことがない。 ビビが二人の顔を交互に見渡すとルフィがじっとサンジを睨みそれ以上は動かなかった……サンジは根負けするように肩をすくめた。 「良いのか?」 「必要ねぇ。」 男二人が何を判り合ったのかビビにはさっぱり想像も出来なかった。 「んじゃワニぶっ倒して、ビビをしっかり濡らしてから、思う存分ビビの匂い嗅いで喰わせてもらうぞ。」 「一部間違ってるがそっちが正解だ。」 ルフィは最後の一言を言うが早いかすうすうと寝息を立てていびきが混じり始めた。タヌキ寝入りかと思えば本当に寝ているらしい。今までのは何だったのかとあきれるやら腹立たしいやらになりながらもルフィは憎めない。ルフィをじっと見つめるビビの肩にぽんと手が置かれた。 「ビビちゃんも、早く寝なよ?」 「あの……サンジさん。ごめんなさい。起こしてしまったの、私が五月蠅かったから?」 「とにかくお休み。君が寝るのを見届けたら俺も寝るから。」 あやすように優しいけど譲らない強さ。サンジの本当の強さは隠れていて少し見つけにくいところにいる。その視線に安心しながらビビはふと気がついた。 「ありがとう。サンジさんが起きてくれて良かったわ、あのままだったら私・・・。」 今も思い出すと頬が真っ赤に火を噴きそうになる。今の自分の置かれている立場を忘れて流され……赤面できるどころの状態ではなかったはずだ。 「いや、今夜の君はきっと無事だったと思うよ。」 「?」 「俺もあいつも海賊の誇りに掛けて。他の男に心がある女(ひと)には手が出せない。」 サンジの口調があまりにもいつも通りだったからそのまま自分のベッドに放り込まれても目を大きく開けたまま真正面にサンジを見据えてしまった。 「他の……男?」 「そいつのおかげでビビちゃんが寝られないなんて、俺たち妬いちゃいそうだよ。」 「サンジさん?!」 「俺たちだけじゃ今のビビちゃんを気持ちよくさせてあげるの難しそうだし。」 「サンジさん!」 「と言う事で嫌な原因の野郎は俺たちが何とかするから。だから寝た寝た。いっそその日の晩餐はワニ料理フルコースでも良い?」 あははと笑いながらサンジはビビのうなじに頬を寄せた。 (え?) 自然な行動にビビが驚いたときには既にサンジが真横にいて瞳を閉じていた。そのまま彼はぴたりと動かない。 あまりに生物的な気配が感じられず、ビビも動けなくなった。 驚きが止まらない思考と裏腹に身体は全くの平静だ。 ルフィと反対側から身を寄せた男は獣のこのようなルフィとは反対に自身は身動き一つしない。優しい縄で縛られたかのように動けない。 これではサンジの意図が読み取れない。次第にビビは身体をすくめて固まっていた。 固まったまま考える。 頑なになる必要なんて無いのに。どうして今夜の私は動けなくなってしまうのだろう? (他の男・・・。) ようやくさきほどのサンジの台詞が蘇ってきた。 先程の思いにとらわれて拳がゆっくり固まり始める。 「なるほど、いい薫りがいつもよかずっとそそるね。けど、ちょっとおっかないな。奴の鼻もたいしたもんだ。」 サンジはそのまま耳元で囁くとはっと驚いた顔をしたビビのおでこをポンポンッとしなやかな指で突いて……くるりと振り向き自分のベッドに向かった。 「じゃ、お休み。」 あっという間の彼の変わり身に行き場のない感情が噴出した。 「……もう!人をからかってばっかりでいないで!…じゃお休みなさい。」 ようやく沸きあがった自分の意志を軽くかわされビビは少しむくれたが寝具を頭から被り…少しして軽やかな寝息を立てていた。 部屋に差し込んでくる月の滴はビビの顔も照らしたが身動き一つしなかった。 全員が寝直した後の空気がようやく静寂を迎えた。 ビビの頬が濡らされたのはその翌日のこと。 了 |